それは思いもしないタイミングでやって来た。
私は18才で中型自動二輪の免許を取って、19才からレース参戦を始めたのですが
運が良かったのか?大きなケガをする事無く昨日まではやって来たのだが・・・。
この日は何だか調子が変だった。(詳しくは
こちら )
「全ては自分の慣れから来た油断」
だったと思います。この日は自分で車を運転して帰ったのですが、帰宅すると痛みが
酷くて、駐車場から自宅に帰るのに30分以上掛かりました。
とりあえず上司に「ケガをしたので明日休んで病院に行きます。」の連絡をして
一晩寝れば回復するのでは?と思って寝たのですが・・・・・・・・。
「昨日より腫れも痛みも酷くなり、何も出来ない状態」でした。
近くの整形外科に行ってみると「靭帯を痛めてるようですし、血が溜まっているような
ので抜きましょう。」と大きな注射器4本分の量に不安を感じるが、痛みは和らぎました。
そして1週間後。これ以上の検査は出来ないようなので、地元の大きな病院に紹介状を
書いてもらい行く事にした。触診、レントゲン撮影、MRI撮影をしてもらった結果が・・・。
「靭帯が2本切れてます。特に膝前十字靭帯は自然に繋がる可能性が無いので、このまま
では普段の生活には支障は無いのですが、スポーツを行なうには膝の強度が足りないので
手術を行なうか、常に装具を取り付けた状態で行なわないと難しい。」と言われました。
私としては「バイクに乗るのもですが、ジョギングすら普通に出来ないとなると困る。」ので
手術を受ける決断をしました。
どちらにしろ「膝の腫れと曲げ伸ばしがキチンと出来ないと手術は出来ない。」そうなので
年内は自宅療養する事にしました。歩く時はガッチリとした装具を使用して状態が悪くならない
ように気を付けながら、その日を待ちました。
そして「3月7日」に入院しました。その日は夕食までは食べて良くて、水分は22時までと言わ
れてました。そして迎えた「手術当日」はもの凄く不安でした・・・。9時からの予定でしたが
緊急手術が2件入り、その後になると連絡がありました。
11時30分に呼ばれました。緊張で口の中がカラカラです。一般病棟から手術室に入り、ベット
を乗り換えて入室しました。
背中に麻酔を打たれた後に先生が来たので「先生、お願いしますね。」と言ったと同時に記憶
が無くなりました。次に目が覚めたのは術後にベットで廊下を移動している時でした。
時刻は17時30分を過ぎてました。話しかける嫁さんに「とにかく眠い。」と答えるのが精一杯
で、しばらくすると寝てしましました。
もの凄く寝たような気がして、看護師さんに時間を聞くと「19時30分」でした。この頃になると
自分の下半身が全然動かない事に気が付いて必死で動かそうとしますが「左足の指が少し
動く」だけでした。
が、この後は寝る事が出来ません。手術した所は痛く無いのですが「膝を曲がらないようにする
装具が神経を圧迫して傷むのと腰や踵に体重が掛かって痺れます。」看護師さんが来ると時間
を確認しますが、思うように時間が進みません。「このまま朝が来ないのでは・・・。」と不安に
なるぐらい長い夜でした。
と同時に水が飲みたいのですが朝までダメだそうです。ダメと言われると欲しくなります。
思い浮かぶのは「アンパンと牛乳」で嫁さんが来たら頼もうと思い我慢しました。
朝6時に蛍光灯が明るくなった時は本当に嬉しかったです。この夜は一生忘れないと思います。
そして朝食が運ばれて来ました。「ロールパンにイチゴジャム、牛乳、バナナ」と私の願いが
通じたようなメニューでした。